戦国時代の武士にとって甲冑とは、身を守る道具としてだけでなく、精神的な「強さや信念」を映し出すパートナーとも言える存在でした。
戦国の三英傑とも呼ばれ、数々の偉業を成し遂げた徳川家康も、甲冑へのこだわりが強く験担ぎにも利用していたとされます。
今回はそんな徳川家康の甲冑について解説していきます。
鈴甲子雄山の甲冑の特徴もお伝えするので、気になるかたはぜひ参考にしてください。
徳川家康と甲冑について
徳川家康は戦国時代に終止符を打ち、約300年に渡る平和を築いた歴史的な人物です。しかしその偉業を達成するまでに様々な戦いがあり、甲冑に守られながらやっとの思いで勝ち抜いた戦も多々あります。
戦の中でも有名な関ヶ原の戦いや大阪の陣では、家康は「歯朶具足」という甲冑を常に持ち込み、必勝を祈願していたと言われています。その甲冑は家康が重要な戦に必ず持っていくとして「吉祥の兜」とも呼ばれています。
徳川家康がここぞという勝負時に必勝を祈願した歯朶具足。歴代の徳川将軍も、その模写を床飾りとしたとされており、複数存在する甲冑です。
ではこれほどまで徳川家に重宝されたこの甲冑とは、一体どんなものなのでしょうか?
徳川家の甲冑「歯朶具足」とは
徳川家の甲冑「歯朶具足」とは、徳川家康がもっとも愛用していた防具で「天下取りの甲冑」とも呼ばれています。兜がとても特徴的で、大黒頭巾のような形をしています。
兜を「大黒頭巾形(だいこくずきんなり)」と言い、大黒天がかぶっている頭巾に似ているためこのように呼ばれています。なぜこのような形なのかというと、徳川家康が関ヶ原の戦いに出陣する前、大黒天が武装する夢をみたことから、甲冑師に指示を出したと言われています。
もう一つの大きな特徴は「歯朶(しだ)」の葉が添えてあることです。歯朶は常緑で枯れることがない葉と言われ、子孫繁栄や長寿の祈願を示しています。武将にとっても縁起が良い葉であり、15代まで繁栄し平和を築きあげている徳川家との深い繋がりがあるようです。
鈴甲子雄山「徳川家康公具足」の特徴
鈴甲子雄山の「徳川家康公具足」は、漆黒色をベースに重厚感のある作りにしています。威は茶色の本革を利用し、「伊予札(いよざね)」と呼ばれる小札を模しています。
家康が利用していた「歯朶具足」は、歴代の徳川将軍たちにより模写され、その中の一つが静岡県の久能山東照宮博物館に所蔵されています。
名前は本歌(本物)と分別をつけるため、当て字で「貫衆(しだ)具足」という名前がつけられています。鈴甲子雄山では、この貫衆具足を細部まで忠実に再現しました。
徳川家康公具足の鎧飾りは圧巻で、お子様への祝福にも最適です。兜だけの「徳川家康公兜」もありますので、ぜひ一度ご覧になってみてくださいね。
まとめ
徳川家康の甲冑は、数々の戦を乗り越えてきた縁起の良い甲冑です。
子孫繁栄や長寿の祈願として、特別な思いのこもった節句祝いにすることができます。
他にもそれぞれの歴史や時代を感じられる、武将達の甲冑があるので、ぜひお気に入りを見つけてください。