唐皮鎧と同じく、平家の家宝とされていた紺糸威鎧。落ち着いた色合いでありながらも、繊細さと力強さを感じられる鎧です。
今回は、平家の氏神と言っても過言ではない「紺糸威鎧」について。そしてこれを奉納した人物といわれている「平重盛」についても、一緒に見ていきましょう。
紺糸威鎧ってどんな鎧?
「紺糸威鎧(こんいとおどしよろい)」とは、国宝として指定された甲冑のこと。世界遺産の厳島神社に奉納されており、平安時代を象徴したような甲冑で、日本人の職人技術のルーツを知ることができます。
紺糸威鎧は、腰から下の草摺(くさずり)という部分が、四方に開いている大鎧という分類の鎧になります。これは平安〜鎌倉時代の特徴的な形で、この頃は馬を使った「騎射戦(きしゃせん)」という戦法が主流でした。馬に乗りながら、弓で敵を射る。そして己を守れるように、四方を囲うような形になったのは、平安時代から始まった日本独自のスタイルなのです。
そんな平安時代らしい特徴を持った紺糸威鎧。平安時代の大鎧で、現代まで残されているものは本当に少なく、貴重な甲冑です。
日本の国宝であり、重要な文化財である紺糸威鎧。厳島神社に奉納されたのは、平重盛によるものだと言われます。記録によると、1446年文安3年の「宝物目録」にも「平重盛によって寄進された」という記述があるようです。そんな平重盛は、一体どのような人物だったのでしょうか?
平重盛ってどんな人?
紺糸威鎧を奉納した平重盛。平清盛の嫡男(直系の長男)であり、武士としての能力の高さはもちろん、温厚さや誠実さから、父である清盛からも厚い信頼を置かれていた人物でした。
そして有名な戦い「保元の乱・平治の乱」でも味方の士気をあげ、武功を挙げた重盛。武士からだけでなく貴族からも評価を受け、26歳の若さで公卿の立場へと登りつめます。高い立場についてからも、使者たちに返礼を渡し、細やかな気遣いもできる性格だったようです。
その人格ぶりは『平家物語』でも述べられ、平家一門のなかでも良識のある存在として描かれています。国家を思い、平家を憂う、そんな彼は「日本三忠臣」と呼ばれ、歴史を動かした重要な人物だと言えるでしょう。
鈴甲子雄山の紺糸威鎧の特徴
最後に鈴甲子雄山の紺糸威鎧をご紹介。平家との関わりが深いこの紺糸威鎧を、五分の一のスケールで、忠実に再現しています。
大鎧は馬上での戦闘のために緻密に設計されています。その最大の特徴として「逆板」と呼ばれる、馬上の揺れで鎧の肩の位置がずれないよう背中の小札板の一部が内側に入る構造になっています。
鈴甲子雄山はそうした細かな構造も忠実に再現し、現代に蘇らせました。落ち着きのある色合いながらも、重厚感のある格調高い雰囲気。派手さは持たずとも、雅な趣は平安時代の国風文化らしい特徴が出ています。気になる方は、ぜひ一度現物をご覧になってみてはいかがでしょうか?
厳島神社で実物を見ることができる
平安時代を代表した作品、紺糸威鎧。歴史や当時の文化を感じられる紺糸威鎧は、厳島神社で実物をご覧いただくことができます。
雄山の紺糸威鎧に見守られて成長した自分の子供と、実物を一緒に見に行くのも、楽しみの一つになりますよ。ぜひ一生の思い出になるお人形探しの参考にしてみてください。