五月人形選び方をお好みの武将から!武将の特徴や人柄について3

男の子の健やかな成長を願って贈る五月人形。いざ選ぼうとすると、沢山の種類が出てきて迷う方も多いのではないでしょうか。

そんな方は五月人形を「人気の武将」から選ぶのもオススメです。歴史的な背景、功績やそれぞれの性格など、武将によって様々なので明確な思いを込めることができるからです。

今回は戦国と江戸の時代に活躍した「伊達政宗、真田幸村、本多忠勝」この三人の武将をご紹介いたします。

目次

伊達政宗

「独眼竜」という異名をもつ伊達政宗。17歳で家督を継ぎ、その後数年で伊達家を東北最大の勢力を築き上げました。さらに江戸幕府264年の基礎作りにも貢献し、徳川家へ3世代もの間、忠誠を尽くしたとされています。

新田開発などの復興事業にも多く貢献し、100万人いる江戸の人々の食を支える重要な基礎を作りました。これらにより徳川家光の時代には「副将軍」と称されるほど大出世しています。

何事にも恐れず挑戦し、多くの人に貢献し続けた伊達。

ゆかりの地は、現在の山形県、そして仙台がある宮城県など、主に東北の土地が上げられます。

画像は鈴甲子オンラインサイト「順風丸」のもの

真田幸村

戦国時代に「日本一の強者」とも呼ばれるほど、勇猛な武将として名を轟かせた真田幸村。大阪の陣で大きく活躍し、不屈の精神で戦う姿は敵軍からも一目置かれるほどでした。

さらに彼が身に纏っていた「赤い甲冑」と「六文銭の飾り」はとても特徴的で強い存在感があります。

多くの人々の心を掴み、果敢に戦った真田。ゆかりの地は、上田と呼ばれた現在の長野県、幼少期過ごした群馬県、大阪府なども上げられます。

画像は鈴甲子オンラインサイト「順風丸」のもの

本多忠勝

「ただ勝つのみ」戦国の時代に勝利の思いを込める名を授かった本多忠勝。「徳川四天王」とも呼ばれ、徳川三傑の一人として活躍していた人物です。

生涯で57回もの戦に参加したにも関わらず、傷ひとつ負った事がないという逸話もあり、別格の強さを持つ武将だったという事が分かります。

一方で、引退後に小刀で仏像を掘り、自分の名前を刻もうとしたときに手を切ってしまいました。このときに初めての怪我を前に自分の死期を悟り、本当にその数日後にこの世を去ったと言いますから、死に際までかっこいいですね。

両脇から鹿の角が生えている兜が印象的ですが、鹿は戦勝の神である「八幡神」だと考えていたためと言われています。

ゆかりの地は三河国と呼ばれる出身の愛知県、江戸時代の拠点とされる三重県、自身で創建した神社がある千葉県などが上げられます。

まとめ

いかがでしたか?

それぞれの武将一人一人がとても個性的で、戦国から江戸の時代に大きな影響を与えている事が分かりました。

このような功績や性格などを知る事で、より五月人形選びを楽しめるのではないでしょうか。ぜひこれらを参考に、お気に入りの武将を見つけて見てくださいね。

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