織田信長の甲冑ってどんなもの? 甲冑の特徴や起源について解説

若くして尾張国を統一した織田信長。奇抜で常識離れした発想力をもち、新しいものを積極的に取り入れる性格で、いくつもの逸話を残した人物です。

今回はそんな織田信長のエピソードと一緒に、鈴甲子雄山の「織田信長の甲冑」をご紹介。甲冑の起源や特徴がわかるため、ぜひ参考にしてください。

目次

織田信長はどんな人物?

三英傑として、戦国時代の中でも人気な武将である織田信長。彼は「長篠の戦い」や「桶狭間の戦い」などで新しい武器を駆使し、当時最強と言われていた騎馬隊をも倒したことで有名です。

非常に不利だと言われていた戦でも、型破りな発想や戦術により勝利を掴み取る。常識にとらわれず、新しいことへ挑戦する姿勢は現代でも学びになる部分ですよね。

数々の戦を乗り越えてきた織田信長は、戦術や戦略にこだわりながら、武器にも改良を加えます。常に思考をこらし変化を恐れない彼の甲冑とは、一体どのようなものなのでしょうか?

「織田信長の甲冑」は彼の性格やエピソードから再現

実は織田信長の甲冑は現存するものがありません。そのため鈴甲子雄山では彼の性格やエピソードから推測して、織田信長の甲冑を再現。紀州東照宮の南蛮胴具足をベースに制作しました。

兜の前立てには織田の家紋の「織田木瓜」にバリンをさし、織田信長の威厳と迫力を表現。兜と胴周りの部分は、紀州東照宮に所蔵されている重要文化財「南蛮胴具足」をベースにしています。

兜鉢の形状は、桃の実を思わせる形のため桃形(ももなり)と呼ばれるもの。こちらは安土桃山時代から江戸時代初期にかけて武士たちに利用され、現在も指定文化財として保存されているものがあります。

そして胴は西洋甲冑「プレート・アーマー」をモチーフに、日本でアレンジされたものを再現。これにより和洋がバランスよく混ざり合った、独特な雰囲気の甲冑になっています。

また、当時同盟を組んでいた上杉謙信に「赤いビロードのマント」を贈ったというエピソードもあり、新しい西洋文化への積極的な姿勢から、マントも着せました。

鈴甲子雄山「織田信長の甲冑」のポイント

ここまでご紹介させて頂いた、鈴甲子雄山の織田信長の甲冑です。

実はゲームやイラストなどでも、この鈴甲子のデザインが採用されていることが多々あります。織田信長の性格や思考から工夫をこらした甲冑が、世間で定番になりつつもあるのをとても嬉しく感じます。

織田信長の甲冑には、鎧飾りにできる「織田信長公具足」の他、コンパクトで飾りやすい「織田信長公兜」も。和式や洋式のインテリアにも馴染みやすいデザインなので、ぜひ一度お手にとってみてください。

まとめ

西洋の文化も積極的に取り入れ、常に新しいものを吸収していった織田信長。そんな彼をイメージして作った鈴甲子雄山の甲冑は、今までの甲冑にはない新鮮さがあり、細部までこだわり抜いた作品です。

お子さまの節句祝いにもふさわしい甲冑かと思いますから、ぜひご検討してください。

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