五月人形は端午の節句(5月5日)に飾る伝統的な飾り物で、日本では古くから子どもの健やかな成長を願う風習として親しまれています。
五月人形の中でも、戦国武将の兜は、人気シリーズの一つです。戦国武将たちの兜は、単なる防具以上の意味を持ち、自らの矜持や信念を表現する独特の飾りが施されていました。その武将たちの思いや願いが込められた兜飾りを選ぶことで、お子様の成長の願いをより深く表現できるでしょう。
兜飾りは五月人形の中でもコンパクトなサイズが多く、省スペースのお部屋にも適しています。本記事では、伊達政宗、徳川家康、上杉謙信など、人気の戦国武将の兜の特徴と、その選び方のポイントを詳しく解説します。ぜひ、お子様やご家庭にぴったりの兜飾りを見つける参考にしてください
五月人形の兜の種類と特徴
五月人形の兜の種類・特徴は、主に以下のとおりです。
- 実物を模した伝統的な五月人形
- 戦国武将の兜を模した五月人形
- 現代的なデザインの五月人形
今回の記事では、「戦国武将の兜を模した五月人形」について詳しく解説します。
戦国武将の兜を模した五月人形
兜飾りは「子どもの成長を守る」意味を込めて飾るもの。その想いに沿った兜を選ぶ方法もひとつの手です。戦国武将の五月人形は、武将たちが各々の願いを込めてデザイン・製作したものとなります。それぞれの願いを知り、ご自身の子供への想いと重ねて選ぶのも素敵ですね。
兜飾りで人気のある武将は、主に以下のとおりです。それぞれの兜と武将たちが込めた思いをご紹介します。
- 織田信長
- 伊達政宗
- 上杉謙信
- 徳川家康
- 真田幸村
織田信長公
織田信長公は、戦国時代~安土桃山時代にかけて活躍した武将です。織田信長公の兜は、現在残っているものがありません。そのような背景から、鈴甲子雄山では織田信長公のエピソードから個性を紐解き、雄山の考える織田信長公の兜を製作しています。
鈴甲子雄山の兜飾りには、桃形という桃の形をした鉢に、家紋の「織田木瓜」と「馬藺(ばりん)」という後光をデザインとした前立てを添えました。
伊達政宗公
伊達政宗の兜は、黒い兜に大きな三日月の前立があしらわれているのが特徴的です。兜の形は筋兜を改良したものであり、筋の間数を62間にした六十二間筋兜を使用しています。
上杉謙信公
上杉謙信公は、「戦の目的は他国を侵略することではなく、他国の救援である」という思想の持主であったことから、義理人情に厚い武士と言われています。
上杉謙信公には、敵である武田信玄の領国が塩の不足に苦しんでいるのを知り、塩を送って助けるといったエピソードも。そのような故事から、「敵に塩を送る」ということわざも誕生しました。
上杉謙信公の兜は、三日月に日輪を乗せた、日輪弦月(にちりんげんげつ)という形の前立を用いています。鉢の部分は「頭形」と言って、防御に優れた形を採用しています。
徳川家康公
徳川家康公は、江戸幕府を開いた有名な武将です。徳川家康の兜は、前立に歯朶(シダ)の葉が添えられています。シダは生命力・繁殖力の強さをもつ植物であることから、「子孫繁栄」の願いが込められています。
根本の部分には、、獅子が厄を噛んで退治するようにという願いから「獅噛み(しかみ)」が施されています。鉢の形は大黒頭巾といって、大黒天様の被る頭巾の形を模しているのが特徴です。家康公の兜は別名「吉祥の兜」と呼ばれており、重要な戦の時に用いられてきました。
真田幸村公
真田幸村公の兜は、織田信長公同様に現存する兜がございません。そのような理由から、鈴甲子雄山では大阪城下にある銅像のデザインをモチーフにして兜の製作を行っています。
真田幸村公の兜には、決死の覚悟を表す六文銭の前立に、立派な鹿の角がついています。真田幸村が鍬形に「鹿の角」を選んだ理由は、鹿が古くから神の使いとして大切にされてきたからという一説も。
鉢の後ろには、「しころ」というぶら下がるパーツがあります。しころの部分は、戦いの邪魔にならないようにと日根野形(ひねのなり)を採用しています。日根野形は、肩のラインに沿って制作しているので、首が動きやすく実用性にも優れています。
上記で紹介した兜飾りは、有名な戦国武将の想いや個性がそれぞれにあらわれています。ぜひ比較してチェックしてみてください。
兜飾りにおすすめの戦国武将・兜の特徴を紹介
兜飾りのモチーフになっている戦国武将は、歴史に名を残しているような方も少なくありません。戦で名を馳せた武将も多いことから、兜飾りには力強さの感じられるデザインも多いです。ここでは、兜飾りにおすすめの戦国武将・兜の特徴を紹介します。
- 伊達政宗公
- 徳川家康公
- 上杉謙信公
伊達政宗公
伊達政宗は、陸奥仙台藩の初代藩主として東北の繁栄を築いた戦国武将です。兜の鍬形が三日月型になった背景には、妙見信仰の影響があったという一説も。妙見信仰とは、仏教の宗派の一つである道教に由来し、北極星・北斗七星を信仰する思想です。
道教では、星・月・太陽を神として崇める慣習があり、それぞれ信仰する対象によって宗派が異なっていました。伊達政宗は月派に属していたことから、鍬形が月型になったと伝えられています。兜を三日月のデザインに決めたのは、父である輝宗でした。輝宗は政宗の旗印に日輪(太陽)をイメージした白地赤丸を、兜の前立てには日輪と対応する月を採用しました。
太陽や月を神様として崇めていた伊達家は、兜のモチーフにすることで「神様からの加護」を得ようとしたのではないかと考えられます。
徳川家康公
徳川家康は、江戸幕府を開いた天下人として、有名な武将の1人です。徳川家康が幼い頃は織田家、今川家の人質として扱われ、不遇な生活を送っていた人物の1人。その後は関東8ヵ国を拝領後に、「関ヶ原の戦い」で戦に勝ち、征夷大将軍となりました。
兜が大黒頭巾の形をしている理由には、関ヶ原の戦いを直前に控えた時期に、徳川家康の夢の中に大黒天様があらわれたからだという説もあるようです。
上杉謙信公
上杉謙信は、越後に名を馳せた武将・大名であり、その強さから「越後の虎」と呼ばれました。自らを「毘沙門天の転生(※)」と信じており、義のために戦いに明け暮れ続けていたそうです。
上杉謙信が生涯挑んだ戦の数は、70回。そのうち、負けた戦はわずか2回と言われており、その強さから「軍神」と呼ばれ人々に崇められています。上杉謙信が戦で用いた兜の前立は、三日月と日輪の形状になっており、その理由には上杉謙信が当時信仰していた「妙見信仰(みょうけんしんこう)」の教えである「太陽と月」をモチーフにしているという言い伝えもあるようです。
※毘沙門天……山を守護する神のことです。鎧甲冑を身にまとい、武器を携えているので、古来より武神としても崇められていました。
本物の鎧を忠実に再現した兜飾りなら「戦国武将シリーズ」がおすすめです
本格的な戦国武将の兜飾りをお求めの方には、戦国武将たちが着用した甲冑を忠実に再現した鈴甲子雄山の戦国武将シリーズがおすすめです。
鈴甲子雄山は、創業100余年の節句専門店となります。初代「雄山」である鈴木甲子八から本物の知識・技術を受け継いだ職人たちが、ひとつひとつ手作業で心を込めて丁寧に人形を製作しています。
戦国武将シリーズは、職人が甲冑のもとへと直接足を運び、実地にて丁寧にスケッチを行い、細部まで忠実に模写しています。その上で人形制作を行っているので、本物の甲冑さながらの五月人形を堪能できます。
戦国武将シリーズの兜飾りは、現物を忠実に再現して作られているので、「本格的な兜飾りを求めている」という方におすすめです。
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まとめ
歴史に名を連ねた武将たちは、「敵を威嚇する」「威厳や地位を誇示する」などの思いを込めて、自らの兜に個性的な立物や装飾を施していました。
織田信長、徳川家康、伊達政宗など名だたる武将たちの兜飾りは、それぞれの武将の想いや願いが込められており、子どもの成長を願う親の思いを一層深めてくれることでしょう。戦国武将の兜飾りは子どもへの願いにあったものを選ぶ方法もありますが、その他にも出身地にゆかりのある武将を選ぶという方法も。
もちろん、お気に入りの武将をモチーフにした兜飾りを飾ぶ方法もおすすめです。気に入ったデザインの兜飾りなら、末永く心を込めてお飾りいただけることでしょう。