
竹雀之鎧兜は神社への奉納を目的に作られた
【赤糸威大鎧-竹虎雀飾-(通称:竹雀の鎧兜)】(以下、竹雀 -たけすずめ-)という甲冑は、戦に使用する為ではなく奉納の目的で製作された甲冑です。

当時は宗教への信仰心の強さの証として、より良いものを奉納する考え方があったようで、竹雀はその最上の奉納品と言えます。
そのため、上腹部から手の甲を守る小手や腿を守る佩立(はいたて)が備わっておらず、動きやすさも重視されていません。
工芸・美術品として昇華した竹雀は、職人のこだわりの詰まった作品で、多くの装飾を施しています。
結果、兜だけで10kgほど、鎧全体で30kgを超える重量になりました。
誰が作らせたかは不明ですが、当時の有力な武将の奉納品と考えられています。
甲冑に、南北朝後期の機能やトレンドが織り込まれていることと、竹雀ほどの高級品を作ることのできる財力を持った人物として、金閣寺を建立した足利義満が結びつけられており、現在有力な説として名前が挙がっています。
確かに、この真っ赤な色合いに金色の装飾が施された竹雀は、武将が身につけていた甲冑以上に煌びやかで、金閣寺を彷彿させますよね。
なぜ竹と雀なのか?
慣用句に「竹と雀」があります。
竹に雀が止まっている図柄は格好のものであるため、取り合わせが良いことからきており、上杉家と伊達家も、家紋として使っています。
実は、重要文化財に指定されている「竹雀図」という中国の水墨画も、足利将軍家に蔵されています。
竹雀図を描いた牧谿(もっけい)の作品は、鎌倉時代以降日本に入って来ており、かなりブームを巻き起こしたようです。
そのため、足利将軍の琴線に触れ、竹雀の甲冑の図柄にも使用されたのではないかと、雄山では考えています。
竹雀の意匠や家紋について解説
金色の部分は透かし彫のメッキの金具で作られ、名前の通り、袖や草摺の細かい部分など至る所に竹と雀の彫刻がされています。

大袖には、縁起が良いとされる、大きな虎の彫刻が施されました。
当時はほとんど虎がいませんでしたから、「猫に似ている」という言い伝えを頼りに作られたそうです。
虎を知っている現代人から見ると、まるで大きな猫のように見えるかもしれませんね。

甲冑には、兜の部分に獣のツノを思わせる鍬形台があります。中心には、鋲にやはり雀の意匠がされています。

吹き返しの金具は左右で、菊と藤とが施されています。
菊は朝廷の紋。藤は現在所蔵されている、春日大社(奈良県・奈良市)の紋を表しているとされます。
春日大社は足利義満と所縁があり、お気に入りの側室・春日局はその社家でした。
金閣寺も、非常に細かな部分まで装飾がされていますが、竹雀もまた、多額の費用をかけて“権威を示した”ものと思われます。
これほど立派なものを作らせることができたのは、日明貿易で巨万の富を得た足利義満だからでしょう。
国宝に指定
甲冑は、時代で兜や胴などが形を変え、進化を遂げてきました。
形制・金工技術から、竹雀は、今から600年以上も前の南北朝時代後期に作られたと考えられています。
通常、時が経てば風化していきますが、非常に保存状態がよかったことから、今も美しい姿を拝むことができます。
高く評価されている職人たちの集大成として魂が注ぎ込まれた竹雀は、工芸品の傑作です。国宝の1領として認定されています。
漆、彫金、鍛金、鍍金、革、正絹機織りといった甲冑制作の技術、かつ現代の日本の代表的な伝統工芸技術の原型が残っている意味でも価値がある作品と言えるでしょう。
まとめ
いかがでしたか?
今回は、国宝に指定されている甲冑の竹雀をご紹介しました。
鈴甲子雄山では、この素晴らしい竹雀について研究を重ね、できる限り忠実に再現しています。
お子様の節句人形としての雄山の作品ですが、大きくなったお子様と春日大社の実物をみて雄山のものと見比べてみるのも、面白いかもしれません。
雄山の代表作とも言える五月人形を、お手にとっていただければ幸いです。
(参考文献) 山上八郎「日本甲冑100選」、山岸素夫「日本甲冑の基礎知識」、同「日本甲冑の実証的研究」
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