五月人形として使われている源氏八領。名前は聞いたことがあっても、実際どのようなものなのか、知らない方も多いのではないでしょうか?
そこで今回は、代々鎧を受け継ぐ源氏について。そして源氏八領とは一体なんなのか。これらについて一緒に見ていきましょう。
源氏について
「源氏」と言えば日本史に必ず出てくる名前で、日本人であれば一度は聞いたことがあると思います。その源氏には「公家」として栄えた源氏、「武家」の頭領として栄えた源氏の一族に分かれているのです。
そして幻ともいわれる源氏八領は、武家である源氏の「清和源氏」の流派から始まります。この「清和源氏」である源義家から、代々受け継がれるようになりました。
武士にとって、戦の場で身を守ってくれる甲冑(鎧や兜)は、ただの防具ではなく地位や信念も表すものでもあります。彼等が家宝のように扱っていたこの源氏八領とは、一体なんなのでしょうか?
源氏八領とは?
源氏八領は「源家八領」「源氏八甲」とも言われ、源氏に伝わる8つの鎧のことを言います。源氏八領の「領」というのも、鎧を数える際の単位のことです。
現代では伝説上の存在だとされていますが、それは平治の乱でほとんどが消滅してしまったから。なんと現在残っているのは「楯無(たてなし)」という鎧1つのみ。1952年から国宝に指定されています。
源氏八領に関する資料は僅かですが、伝説上の八領について「保元物語」に記述があります。「保元物語」とは保元の乱を描いた軍記資料で、天皇や源氏一族たちの波乱が物語調で進んでいきます。
そこに記されていたのは、「源為義」が八領が風で散り散りに吹き飛ばされる夢を見て、出陣を断るシーンでした。彼らがどれほど源氏八領を大切にしていたのかが伺えますね。
それだけでなく源氏の嫡男(長男)が鎧の着初めに使ったりと、おめでたい場面にも使われていたこの源氏八領。それぞれにどんな名前が付けられているのでしょうか?
源氏八領の種類は?
ここからは源氏八領として伝説になった八種類の鎧を紹介します。
「源太産衣」(げんたのうぶぎぬ)
平治物語で「藤の花が咲き乱れるような鎧だった」と言われたことから、藤の花の色合いが使われた源太産衣。源義家が生まれた時に、父である源頼義が祝いに造ったとも言われています。
「八龍」(はちりゅう)
八幡大菩薩の守護を受けるため、八大龍王を表す八つの竜の金飾りが各部へつけられた八龍。大鎧の代名詞的存在で、源為朝が父から与えられた鎧だとされています。
「薄金」(うすがね)
当時では難しい技術とされる、薄くて小さな鉄を何枚も使用して作られた薄金。源氏の棟梁のみが着用を許され、保元の乱では源為義が着用していたと言われます。
「膝丸」(ひざまる)
牛1000頭の膝の皮を集めて作ったとされる膝丸。鈴甲子では牛革の代わりに、黒小札に黒糸で威すことで、堅牢さを表現しました。
「月数」(つきかず)
朽葉色という日本に古くから伝わる伝統色が使われた月数。紅葉を表す色とも言われ、より黄色の強い黄朽葉色の糸で再現しました。
「日数」(ひかず)
若大将の栄光を願い、早春の息吹を表現した日数。新緑の若々しさを表すため、緑裾濃の威で仕立てられています。保元の乱では、源頼仲が着用したもといわれています。
「沢瀉」(おもだか)
沢瀉は面高「面目が立つ」といった言葉にも通じ、おもだかの葉を模したと言われています。鈴甲子では兜だけでなく、袖と草摺にも沢瀉威を使用しています。
「楯無」(たてなし)
その堅牢さから盾がいらないと云われるのが、名の由来となっている楯無。唯一、国宝として現存するものです。
まとめ
いかがでしたか?
源氏に伝わる伝説とも言われた源氏八領。これは代々伝わってきた、源氏の家宝だということがわかりました。
他にも様々な鎧兜がありますので、ぜひ人形選びの参考にしてくださいね。