なんとなく風習としてやっている節句のお祝い。
なぜ節句人形を飾るのかよく知らない人もいるのではないでしょうか。
今回は、なぜ日本ではお節句を飾るのか、五節句とは何かについてお伝えしていきます。
きっかけは中国の伝来の思想
古来より、日本と中国は密接な関係にありました。そのため、様々な文化や工芸・美術品、思想が中国から日本に伝来してきています。
その中国から伝来されてきた思想の一つに、陰陽五行思想というものがあります。
日本の年中行事の多くは、この陰陽五行思想の影響を受けていると言う説があります。
陰陽五行思想は、日本へは飛鳥時代に伝わってきましたが、元々は中国で春秋戦国時代ごろに生まれた思想と言われています。
陰陽五行思想とは?
中国では、陰陽(陰陽説)と水・金・土・火・木の5つの元素からなる(五行説)と言う考えが存在していました。
この2つが合わさり、陰陽で補えないものを五行が補足する形で、より複雑な事象を説明できるようになったと考えられています。
日本では、その陰陽五行思想が独自の形へと発展し、陰陽道へと変容を遂げました。
五節句の始まり
節句人形は3月3日のひな祭りに飾る「雛人形(ひな人形)」と5月5日のこどもの日に飾る「五月人形」で知られています。
節句人形を飾るようになった理由は、中国暦が伝った後(554年頃)、旧中年中行事として平安時代に完成した五節句の1つであることが由来です。
陰陽五行思想では、一説によると、割り切れて静的であるため偶数を「陰」、不安定で動的なため奇数を「陽」としており、
3月3日や5月5日などは、奇数が重なることで偶数(陰)になります。
加えて、節句は季節の変わり目であり、体調の崩しやすい時期でもあります。「陰」によって邪気がたまると考えられるようになりました。
そのため、1・3・5・7・9の日に健康を祈願し、邪気払いが行ったのが、五節句という行事の始まりと言われています。
・1月1日(のちに1月7日)「人日(七草がゆ)」
・3月3日「上巳(桃の節句)」
・5月5日「端午(菖蒲の節句)」
・7月7日「七夕(星祭)」
・9月9日「重陽(菊の節句)」
七草の「気」をいただく七草がゆは日本独自の風習ですが、桃・菖蒲・菊などは古来から酒にして体内に取り込むことで邪気を払うとされています。
節句人形を飾るようになった理由
ひな祭りは、陰陽師思想の「ヒトガタ」に由来し、「上巳」に身の汚れを払うために、古くから紙で作った人形を川に流す「流し雛」が行われていたところから、他の信仰や風習に結びつき、今の人形を飾る形に至りました。
一方で五月人形は、「端午(菖蒲の節句)」が「尚武(しょうぶ)」に通じて今に至ります。
陰陽五行に基づき、邪気を祓い健康を祈願するために節句人形が飾られているということですね。
まとめ
いかがでしたか?
今回は五節句の始まりについてご紹介しました。
日本の文化の美しさは、こうした先人たちの思想の積み重ねを大事にしているところですよね。
雄山の仕事は、その先人たちの作りあげた文化・風習に1を積み重ねて、次の世代につなげていくことだと考えています。