立花プレート

『立花家の至宝』雷切丸・火縄銃墨縄・三日月図軍扇

『立花家の至宝』雷切丸・火縄銃墨縄・三日月図軍扇を1/4スケールで製作し、立花プレートとして登場!
サイズ:縦22.3×横34cm
(現在販売はしておりません。)


立花家十七代当主立花宗鑑様が打ち合わせにために
当社にお見えになりました。

「脇差 無名(雷切丸)」

雷切丸の名の由来は道雪が大木の下に作った御座所で昼寝をしていたところ雷が落ちてきました。鑑連(道雪)は枕元に立てていた太刀「千鳥」を抜いて素早く御座所を立ち退きました。その後、足が痛みだし出陣するにも輿を使用するほどであったが、御勇刀を佩いてたので並の武者よりも活躍しました。よってこの勇刀を「千鳥」から「雷切」と改号しました。

「三日月図軍扇」

写真:御花史料館のご好意により実物の雷切丸三日月軍扇を拝見させていただきました。
軍扇は、軍配や采配などとともに軍陣での指導具の一種です。江戸時代の藩主所用品には黒塗りのがっちりとした物も多く見られますが、これは骨も細く金地に三日月が扇面の中央をはずしてアシンメトリーにおかれており、優れたデザイン性を感じられます。

「火縄銃 銘 墨縄」

写真 蒲骰b子藤原氏が触っているのは、柳川史料館別室で黒田長政が持っていた火縄銃(実物)。後に立花宗茂の物になった火縄銃墨縄です。この火縄銃墨には次のような逸話が残されています。
「黒田長政と宗茂との間に鉄砲と弓の優劣論が起こり、長政は銃の利点を挙げて弓の全廃を主張し、宗茂は弓と鉄砲のそれぞれに長所と短所があると反論しました。そこで笄を的に長政が銃、宗茂が弓で競い、その勝者が敗者の武器を取り上げるということになりました。その勝負で宗茂が勝ったため、長政からこの火縄銃墨縄が贈られまたたが、宗茂からも弓を長政に贈り返したいうことです。」
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